東京地方裁判所 平成元年(行ウ)159号 判決 1991年2月26日
原告
市川幸雄
原告
市川静江
右両名訴訟代理人弁護士
宮里邦雄
同
小野幸治
被告
世田谷税務署長武田信彦
右指定代理人
野﨑守
外三名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一原告らの請求
一原告市川幸雄
被告が昭和六三年六月二九日付けでした原告市川幸雄の昭和六一年分の所得税の更正のうち納付すべき税額三九四二万一〇〇〇円を超える部分及び被告が同日付けでした同原告の同年分の所得税の過少申告加算税賦課決定のうち過少申告加算税額四八万七四〇〇円を超える部分を取り消す。
二申告市川静江
被告が昭和六三年六月二九日付けでした原告市川静江の昭和六一年分の所得税の更正のうち納付すべき税額九九〇万〇八〇〇円を超える部分及び被告が同日付けでした同原告の同年分の所得税の過少申告加算税賦課決定を取り消す。
第二事案の概要
一争いのない事実
1 原告らは、昭和六一年一月三〇日、長野県南佐久郡八千穂村に対し、「八千穂日中青年の家」建設資金及び日中友好基金創設に充てる資金として、原告市川幸雄が八〇〇〇万円、原告市川静江が四〇〇〇万円をそれぞれ寄付(以下、この寄付を「本件寄付」という。)した。
2 そこで、原告市川幸雄は、昭和六一年分の所得税について、昭和六二年三月一四日、寄付金控除の額を八〇〇〇万円とし、納付すべき税額を二四三八万三四〇〇円とする確定申告(総所得金額一八五万一五四六円、分離長期譲渡所得の金額一億七五一四万五五六七円、寄付金控除以外の所得控除の額七一万七九九六円)をし、更に、昭和六三年三月一四日、寄付金控除の額を一億一〇〇〇万円とし、納付すべき税額を二九六七万一〇〇〇円とする修正申告(分離長期譲渡所得の金額を二億二一七〇万〇五五〇円と変更した。)をした。
ところが、被告は、同年六月二九日、所得税法の規定に従い、寄付金控除の額を五五八七万八〇二四円とする更正及び八八万八〇〇〇円の過少申告加算税を賦課する旨の決定をした。
そこで、原告市川幸雄は、国税不服審判所長に対し、同年八月二五日、寄付金控除の額は八〇〇〇万円であり、納付すべき税額は三九四二万一〇〇〇円、過少申告加算税額は四八万七四〇〇円になると主張して審査請求をしたが、平成元年五月二二日、右請求は棄却された。
3 また、原告市川静江は、昭和六一年分の所得税について、昭和六二年三月一四日、寄付金控除の額を四〇〇〇万円とし、納付すべき税額を九九〇万〇八〇〇円とする確定申告(分離長期譲渡所得の金額八七五七万二七八四円、寄付金控除以外の所得控除の額六六万円)をした。
ところが、被告は、昭和六三年六月二九日、所得税法の規定に従い、寄付金控除の額を二一八八万三一九六円とする更正及び二五万五〇〇〇円の過少申告加算税を賦課する旨の決定をした。
そこで、原告市川静江は、被告に対し、同年八月二五日、寄付金控除の額は四〇〇〇万円であり、納付すべき税額は確定申告額の九九〇万〇八〇〇円になると主張して異議の申立てをしたが、同年一二月二日、その申立ては棄却された。更に、原告市川静江は、国税不服審判所長に対し、同月一六日、同様の主張をして審査請求をしたが、平成元年五月二二日、右請求も棄却された。
4 所得税法は、個人の国又は地方公共団体に対する寄付金の取扱いにつき、次のとおり定めている。すなわち、個人の国または地方公共団体に対する寄付金は、原則として、特定寄付金に当たるものとされる(所得税法七八条二項一号)。そして、その年中に支出された特定寄付金の額の合計額については、その者のその年分の総所得金額、退職所得金額及び山林所得金額の合計額の二五パーセントに相当する金額を限度として、これから更に一万円を差し引いた額が寄付金控除としてその年分の総所得金額等から控除されることとなる(同条一項)。
他方、法人税法は、法人の国又は地方公共団体に対する寄付金については、原則として、その全額を損金の額に算入すべきものとしている(法人税法三七条三項一号)。
二争点
1 被告は、本件寄付につき、所得税法七八条の規定に従い、原告市川幸雄の昭和六一年分の所得税に係る寄付金控除の額は、その総所得金額及び分離長期譲渡所得の金額の合計額二億二三五五万二〇九六円の一〇〇分の二五に相当する金額から一万円を控除した金額五五八七万八〇二四円となり、原告市川静江の昭和六一年分所得税に係る寄付金控除の額は、その分離長期譲渡所得の金額の一〇〇分の二五に相当する金額から一万円を控除した金額二一八八万三一九六円となると主張している。
これに対し、原告らは、右のように寄付金控除の限度額を定めている所得税法七八条の規定は、法定限度額を設けていない法人税法三七条の規定と対比すると、法人と個人を著しく不合理に差別するものであって憲法一四条に違反し、また、合理性を欠く規定である点で憲法八四条に違反し、その限度で無効であるから、本件寄付の寄付金は全額が控除されるべきであると主張している。
したがって、本件の争点は、専ら、所得税法七八条の規定が法人税法三七条との対比で、憲法一四条、八四条に違反する無効な規定といえるかどうかの点にある。
2 この点に関する被告の主張は、概ね次のとおりである。
(一) 法人の場合、寄付金は、その支出が事業経営に必要な経費として経理されたものに限って損金の額に算入されるものとされている。そのうえ、法人が寄付を決定するに当たっては、その是非、金額の多寡について取締役会等の機関決定を要し、その内容も、寄付金額の増大が株主、出資者の得るべき配当の減少をもたらすことから、株主、出資者に対して責任を負える妥当なものであることを要する等、寄付の是非、金額の多寡の決定に、自ずからなる制約が内在している。
(二) これに対し、個人が支出する寄付金については、そもそも、事業所得等の必要経費として支出されるもの以外は、本来これを課税所得から控除すべき理由はなく、専ら、特定の寄付に対する奨励措置という立場から政策的にこれを控除することとされているに過ぎない。そして、この場合、無制限に控除を認めること、この種の寄付金を多額に支出できる高額の所得者の課税所得が不当に減少し、これらの者に有利な制度となり、また、寄付金控除額の増大が納税額の減少を伴うため、本来国に納付されるべき税金の性質を持つ金員の使途を個人の意思にゆだねたのと変わらないような結果が生ずることとなることから、個人のする寄付については、特定寄付金の支出の奨励措置という要請と調和を図りながら一定の控除限度額を設けることが必要とされるのである。更に、個人にあっては、法人の場合と異なり、寄付金を支出するか否か、支出する場合の金額をいくらとするかの決定が全く個人の任意にゆだねられているから、個人の寄付金について控除限度額を設けない場合には、これらの点について何らの制約も働かないこととなり、前記のような内在的制約のある法人の場合と対比して衡平を失することになる。
(三) 以上のとおり、国又は地方公共団体に対する寄付金について、法人税法の取扱いは、法人の寄付金については、控除限度額を設けず、その支出及び金額の決定をその法人内部の規制にゆだねることで足りるという判断に立って立法されたものであるのに対し、所得税法の取扱いは、個人の寄付金の場合は、法人の場合のような内在的な制約がないことから、外的制約として一定の控除限度額を定める必要があるとの判断に立って立法されたものであり、それぞれの特質に応じた取扱いをしているのである。
そもそも、租税の新設、改廃、課税標準の定め等をどのように行うかは、憲法三〇条及び八四条の規定によって法律にゆだねられているのであり、具体的な租税体系の組立ては、立法府の合目的的な裁量に任されているところである。したがって、租税関係法規の定めは、立法府がその裁量権を逸脱し又はこれを濫用して立法を行ったとみられるような特別の場合を除いては、違憲、無効とされることはないものというべきである。
そうすると、右のとおり合理的な理由のある所得税法七八条の規定について、これが憲法一四条、八四条に違反し無効であるとする原告らの主張には理由がない。
3 これに対する原告の反論は、概ね次のとおりである。
(一) 法人の場合も、国又は地方公共団体に対する寄付金が、当然に事業経営に必要な経費や事業に関連する損金に該当するわけではない。それにもかかわらず、法人税法が法人の国又は地方公共団体に対する寄付金の全額を損金に算入できることとしているのは、寄付の公共性、公益性に着目し、寄付を奨励しようとする立法目的によるものとしか説明できず、このような立法目的は、個人の寄付の場合も法人の寄付の場合も全く異なるところはないものというべきである。
(二) また、個人の場合にも、生活者という立場において、健康で文化的な最低限度の生活を営むための可処分所得を留保することが必要不可欠であることからすれば、寄付には自ずと内在的制約が存するのであって、この点においても、法人の場合と本質的な差異はない。
(三) なお、被告は、個人の場合に寄付金について無制限の控除を認めると、この種の寄付金を多額に支出できる高額の所得者の課税所得が不当に減少し、これらの者に有利な制度となり、また、寄付金控除額の増大は納税額の減少を伴うので、本来国に納付されるべき税金の性質を持つ金員の使途を個人の意思にゆだねる結果となると主張するが、同様のことは法人にもそのまま当てはまるのであって、このことも個人と法人との間で取扱いに差異を設ける合理的理由にはなり得ない。
(四) そもそも、本件所得税法七八条の規定が法人税法三七条との比較で憲法に違反するか否かを審査するに当たっては、その立法目的との関係で、法人の寄付金については全額損金算入を認めながら個人の寄付金については控除限度を設けるという方法が、合理性と必要性とを備えており必要な限度を超える規制ではないといえるか否かが、慎重に審査されるべきであり、しかも、このような厳格な審査基準に照らして、右のような方法がその目的達成のために必要不可欠なものであることについては、国の側が立証責任を負うものと解すべきである。
したがって、右のような合理性と必要性を基礎づける立法事実について被告側から主張、立証が行われない限り、右所得税法七八条の規定は違憲、無効なものと判断されるべきである。
第三争点に対する判断
一租税は、国家が、その課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてでなく、その経費に充てるための資金を調達する目的をもって、一定の要件に該当するすべての者に課する金銭給付であるが、およそ民主主義国家にあっては、国家の維持及び活動に必要な経費は、主権者たる国民が共同の費用として代表者を通じて定めるところにより自ら負担すべきものであり、我が国の憲法も、かかる見地の下に、国民がその総意を反映する租税立法に基づいて納税の義務を負うことを定め(三〇条)、新たに租税を課し又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要としている(八四条)。すなわち、課税要件及び租税の賦課徴収の手続は、法律で明確に定めることが必要であるが、憲法自体は、その内容について特に定めることをせず、これを法律の定めるところにゆだねているのである。
また、租税は、国家の財政需要を充足するという本来の機能に加え、所得の再分配、資源の適正配分、景気の調節等の諸機能をも有しており、租税法規の立法においては、財政、経済、社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく、極めて、専門技術的な判断をも必要とすることが明らかである。したがって、具体的な租税法規の立法については、これを、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断にゆだねるほかなく、裁判所は、基本的には、その裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである。そうすると、国又は地方公共団体に対する寄付について、寄付の主体が個人である場合と法人である場合とで税法上異なった取扱いをすることを定めた所得税法七八条と法人税法三七条との関係についても、そのような異なった取扱いをする立法に正当な理由がある場合には、その区別の態様が右の立法理由との関連で著しく不合理なものであることが明らかであるといった特段の事情が認められる場合でない限り、その合理性を否定することはできず、これを憲法一四条等の規定に違反するものということはできないものというべきである。
この点については、原告らは、右のような個人の寄付の場合と法人の寄付の場合とで税法上異なった取扱いをすることが、当該立法目的の達成のために必要不可欠なものであることが主張、立証されない限り、右のような扱いを定めた立法は違憲、無効なものと判断されるべきであると主張しており、<証拠>(北野弘久作成の鑑定所見書)には右主張にそう内容の記載がある。しかしながら、前記のような租税法規の立法の特質等からして、右主張は採用することができない。
二1 ところで、<証拠>(昭和三六年一二月七日付け税制調査会答申書)によれば、社会的に必要な公益的寄付の奨励措置として、国及び地方公共団体に対する個人の寄付金について所得税からの控除制度を設けることには、次のようないくつかの問題点があることが認められる。
(一) この種の寄付金は、いわば個人の所得の処分としてされるものであるから、純粋の税制上の立場からすると、これを課税所得から控除するという理論的根拠に乏しい。
(二) この種の寄付金を多額に支出できる者は、実際上高額の所得者に限られるから、一部の高額所得者に有利な制度とするおそれがある。
(三) 個人の寄付のその支出先団体に対する影響力は、概して法人におけるよりも大きくなりがちであり、種々の弊害も予想される。
2 また、<証拠>(昭和四八年一二月二一日付け税制調査会答申書)でも、所得税法七八条一項の個人の特定寄付金の控除限度額の引上げの可否に関連して、総所得金額等の合計額の一〇〇分の二五というその控除割合は、諸外国の制度と比較しても相当の水準にあるものであり、この控除割合をあまり高く定めると、国に納付すべき税金の使途を個人の意思にゆだねる結果となって適当ではないとの指摘がなされていることが認められる。
3 更に、被告の前記主張にあるとおり、法人税法の適用対象とする営利法人の場合は、その活動が法人の設立目的にそうものに限定され、その意思決定機関の決定を経て行われる意思決定にも株主、出資者に対する責任が要請されること等からして、その行う寄付の是非や金額の多寡の決定についても自ずから制約が内在すると考えられるのに対して、所得税法の適用対象となる自然人たる個人の場合は、その活動の範囲が限定されず、その意思決定も各個人の意思によるところが大であるため、そのような個人の行う寄付については、寄付金を支出するか否か、また支出する寄付金の額をいくらにするかの決定について、法人の場合のような内在的制約が働かないということも、一般論としては十分に首肯できるところである。
三右のように諸事情を勘案すると、国又は地方公共団体に対する寄付について、その主体が個人である場合と法人である場合とで異なった取扱いをすることには、それなりの正当な理由があるものと考えられ、しかも所得税法七八条の規定と法人税法三七条の規定との対比で、右両者の取扱いの区別の態様が右の立法理由との関連で著しく不合理なものであることが明らかであるといった特段の事情も認められないものというべきである。そうすると、所得税法七八条の規定が憲法一四条一項あるいは憲法八四条に違反する無効なものとすることはできないものというほかない。
この点について、原告らは、国又は地方公共団体に対する寄付金について課税上の控除を認めようとする立法目的が公益的寄付を奨励しようとすることにある点で、法人の寄付の場合と個人の寄付の場合とで何らの差異もなく、また、このような寄付金控除の制度を認めることによって生ずると考えられる弊害等の点でも、法人の寄付の場合と個人の寄付の場合とで差異があるものとは考えられないとの理由で、所得税法七八条の規定が憲法一四条等に違反するものであると主張する。しかしながら、右のような立法目的や寄付金控除制度に伴う弊害等の点で、法人の寄付の場合と個人の寄付の場合とで基本的に共通する点が見られるにしても、その具体的な内容について前記のような差異が認められるものと考えられる以上、そのような差異に応じて両者について異なった取扱いをする内容の立法が憲法上も許容されているものと考えられることは前記のとおりであるから、原告らのこの点に関する主張は理由がないものというべきである。
(裁判長裁判官涌井紀夫 裁判官市村陽典 裁判官小林昭彦)